下記のパンフレットは、まちづくり大潟事務局(上越市大潟区コミュニティプラザ1F)又は犀潟駅や道の駅などに置いてあります。

パンフレット(マップ面)

パンフレット(説明文面)

犀潟駅

駅舎は、赤いカラートタン(現在は瓦屋根)でふかれ、窓にはサッシが入って一見近代的に見えますが、実はいずれも部分補修で、本体は木造で黒ずんだ柱が1本1本しっかりと立っています。
明治・大正・昭和・平成・令和の5代に渡る120年以上の長い歴史を刻みこんでいる新潟県最古の駅舎です。犀潟駅の停車場は明治30年5月、松林に囲まれた犀浜の海岸近くに開業しました。
 開業当時は閑静な農漁村の玄関口だった犀潟駅は戦後、工業地帯の輸送という大きな役割を果たすようになりましたが、現在は使われていません。
 平成9年3月に開業したほくほく線により、犀潟駅は信越線の接点として重要な役割を担っています。

諏訪神社

犀潟町内会館のとなりにある諏訪神社は、明治42年に近隣の12神社が合祀された神社です。社殿は昭和48年に建立されました。春の桜が見事です。

雪室跡

昔、行商の魚の鮮度を保つために利用した雪穴の跡です。
深く掘った穴に冬に積もった雪を、高さ7mほどに固め入れ、藁で覆った室を貯蔵庫としていました。

古宮台場跡

寛政4(1792)年、ロシア船が蝦夷地に来航したことを受け、江戸幕府が沿海の大名に沿岸防備を命じました。古宮砲台跡は、高田藩が築いた22カ所の台場のうちのひとつです。

    

恵光寺

円蔵寺

ここの地名が行野浜と呼ばれたのは、この寺で修行する信者が多かったことからと伝えられています。
 有名な木喰上人が作った仏像2体が安置されています。

白山様

昔、村人が打ち上げられているお地蔵さんを見つけ”白山様”とよびおまつりしました。
 ”白山様”には虫歯の痛みや病気を治してくれる力があり、村人はお祈りすることで助けられました。

新堀川排砂揚水機場

大潟新田の悪水は日本海へ放流する際に堆積する砂を取り除くために設置されました。
新堀川の開墾に着手以来140年余を経て、湿地帯の耕作の苦しみや塩害の苦しみから逃れることが出来ました。

大潟漁港

昔の大潟海岸は砂浜が広くゆったりした風景でした。
ところが、長年の浸食により、砂浜は削られ、昭和57(1982)年漁港の建設が始まり、平成17年に利用されるようになりました。

専念寺

大潟区の海岸は、弘徳池といわれ、親鸞が教化した所として真宗門徒の間で全国的にも有名です。 親鸞の門弟西仏房の法系の寺であると言われ、道路沿いに「見真大師(親鸞)の碑」が建立されています。

潟守神社

新堀川開削完成後、新堀川両岸に潟守新田を設置し、同時に潟守新田外利関係24か村の守護神として祀られました。昭和27(1952)年奥の宮を合併しました。

⑫明治天皇御小休所

明治天皇が、大潟区に明治11(1878)年9月に巡幸されました。現在の犀潟で休憩され潟町行在所で昼食をおとりになりました。